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私の児童虐待1

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雑誌名 g2 2009年9月号 vol.1
出版社 講談社
価格 1,333円

私の児童虐待  柳美里

1、http://s04.megalodon.jp/2009-1026-1649-47/g2.kodansha.co.jp/?p=196
2、http://s03.megalodon.jp/2009-1026-1651-57/g2.kodansha.co.jp/?p=196&page=2
3、http://s02.megalodon.jp/2009-1026-1656-30/g2.kodansha.co.jp/?p=196&page=3
4、http://s04.megalodon.jp/2009-1026-1657-48/g2.kodansha.co.jp/?p=196&page=4
5、http://s02.megalodon.jp/2009-1026-1659-40/g2.kodansha.co.jp/?p=196&page=5



時代と社会を相手に切り結んできた芥川賞作家が描く
著者初の本格ノンフィクション
1、
夏休みである。
わたしは十五歳で高校を退学処分になってから、通学をしたことも通勤をしたこともないので、ずっと夏休みとは無縁だった。
二〇〇〇年一月十七日に息子が生まれた。
二〇〇三年四月十日に幼稚園に入園した。
そして、憂鬱な夏休みがはじまったのである。
入園から小学校入学までの日々の出来事は、『柳美里不幸全記録』(新潮社)という本にまとめたので、ここに記すことは控える。
現在、息子は小学四年生、来年の一月で十歳になる。
中学受験をしたいという本人の希望と、執筆の時間をなるべく多く確保したいというわたしの希望が重なって、昨年末から近くの進学塾に通わせている。
わたしも、ちょうど息子ぐらいのときから進学塾に通っていた。
我が家は、他人に話すと「嘘ぉ? なに時代の話なの?」と信じてもらえないほど、貧しかった。卵かけご飯や味噌汁かけご飯は上等なほうで、醤油かけご飯やお湯かけご飯で腹を満たすことも少なくなかった。
父はパチンコ屋の釘師で、当時で月八十万という高給取りだったのだが、競馬やポーカーや賭け将棋などの賭博にのめり込み、一円も残さず擦ってしまうばかりか、給料の前借を断られると、ヤバイ筋にまで手を出して賭場に入り浸った。
母は、家で漬けたキムチを(幼い子どもを連れて)橋の袂で売ったりして生活費を稼いでいたが、子どもたちがこの境遇から抜け出すには教育しかない、とキャバレー勤めをはじめ、四人の子ども(わたしが長女で、ほぼ年子で三人の弟妹がいる)に、就学前からピアノ、バレエ、珠算などを習わせ、小学校高学年になると、私立中学を受験させるために進学塾に通わせた。
父は一九三九年に慶尚南道山清で生まれ、母は一九四五年に慶尚南道密陽で生まれたが、それぞれ止むに止まれぬ事情で、朝鮮戦争の最中に故国を離れ、異国である日本に密航してきた。
父は日本語の読み書きができない。
母の家族は、単身で日本に渡った父親を探して各地を転々としたので、母はまともに学校に通うことができなかった。
ふたりとも、学歴コンプレックスが非常に強く、「学校に行けていたら、まともな仕事に就けたのに」というのが口癖だった。
わたしは、母の第一志望だっ退学処分になったのは、エスカレーター式の高校にあがったばかりの四月だった。
担任に、保護者同伴で手続きをしなければならないと言われ、母に頼むと、「絶対にイヤ。先生たちからさんざん、あんたがおかしくなったのは全部母親のせいみたいに言われて、冗談じゃないわよ。柳さんに行ってもらいなさい」と断られ、仕方なく、別居していた父に同伴を頼むために黄金町へと向かった。
当時の黄金町は(黒澤明の『天国と地獄』で、山崎努演じる誘拐犯がヤク中の女を殺害するシーンの舞台として有名)運河だった大岡川と高架を走る京浜急行に沿って「チョンの間」と呼ばれた青線地帯があり、狭い界隈に職安、寄せ場、ドヤ街、賭場、組事務所がひしめき合う横浜の「暗部」だった。
わたしは、セーラー服でパチンコ屋にはいって行き、景品交換所で父を呼び出してもらった。
父は詳しい事情を訊かず、わたしを助手席に乗せて、元町や外人墓地や港の見える丘公園などの「観光地」のど真ん中にある学校へと車を走らせた。
父は校長室にはいるなり、「校長先生さま、娘をどうかこの学校に置いてやってください」と土下座をしてしまった。
髪型、顔つき、体型、服装、なにからなにまでケンタッキーのカーネル・サンダースにそっくりな校長が、父の頭を見下ろしながら言い放った言葉を、二十六年が経ったいまでも、はっきりと憶えている。
「お父さまの気持ちはよく解りますが、娘さんは他の生徒に毒をばらまいているんですよ。段ボールのなかに腐った林檎がひとつあると、他のなんでもない林檎まで腐りはじめるでしょ」と、金縁の老眼鏡をかけて、中二からはじまったわたしの「非行」の数々を読み上げたのである。
「腐った林檎」として「学校」という段ボールから放り出されたわたしは、書くことで生きることを模索しはじめたのだが、まさか、保護者として「学校」にふたたび関わるようになるとは──。た「お嬢様学校」に合格し、母に強く勧められたテニス部に入部したのだが、母はキャバレーの客(妻子ある男性)と恋愛をして、夜逃げ同然のかたちで家を飛び出した。
上の弟と妹は父の家に残り、わたしと下の弟は母の愛人が通うマンションで暮らすようになった。
わたしは、中学二年のころから家出と自殺未遂をくりかえし、精神科に通院して投薬治療を受けるようになった。
幻覚や幻聴などの症状も出て、手に負えなくなった母に「自分がこの世に産み落としたのだから、自分がこの世から抹殺しなければならない」と、出刃包丁で刺し殺されそうになったこともある。

2、




退学処分になったのは、エスカレーター式の高校にあがったばかりの四月だった。
担任に、保護者同伴で手続きをしなければならないと言われ、母に頼むと、「絶対にイヤ。先生たちからさんざん、あんたがおかしくなったのは全部母親のせいみたいに言われて、冗談じゃないわよ。柳さんに行ってもらいなさい」と断られ、仕方なく、別居していた父に同伴を頼むために黄金町へと向かった。
当時の黄金町は(黒澤明の『天国と地獄』で、山崎努演じる誘拐犯がヤク中の女を殺害するシーンの舞台として有名)運河だった大岡川と高架を走る京浜急行に沿って「チョンの間」と呼ばれた青線地帯があり、狭い界隈に職安、寄せ場、ドヤ街、賭場、組事務所がひしめき合う横浜の「暗部」だった。
わたしは、セーラー服でパチンコ屋にはいって行き、景品交換所で父を呼び出してもらった。
父は詳しい事情を訊かず、わたしを助手席に乗せて、元町や外人墓地や港の見える丘公園などの「観光地」のど真ん中にある学校へと車を走らせた。
父は校長室にはいるなり、「校長先生さま、娘をどうかこの学校に置いてやってください」と土下座をしてしまった。
髪型、顔つき、体型、服装、なにからなにまでケンタッキーのカーネル・サンダースにそっくりな校長が、父の頭を見下ろしながら言い放った言葉を、二十六年が経ったいまでも、はっきりと憶えている。
「お父さまの気持ちはよく解りますが、娘さんは他の生徒に毒をばらまいているんですよ。段ボールのなかに腐った林檎がひとつあると、他のなんでもない林檎まで腐りはじめるでしょ」と、金縁の老眼鏡をかけて、中二からはじまったわたしの「非行」の数々を読み上げたのである。
「腐った林檎」として「学校」という段ボールから放り出されたわたしは、書くことで生きることを模索しはじめたのだが、まさか、保護者として「学校」にふたたび関わるようになるとは──。
3、
五年前から、ネットを通して知り合った十五歳下の男性と同居している。
この五年間は、十代のころから患っている鬱が再燃し、眠れない、起き上がれない、書けないの三重苦で、生活も困窮を極めていたのだが、気がつけば、母のように、大変な無理をして、息子を進学塾に通わせている。
わたしは算数が苦手だった。
塾の模試では、算数の偏差値だけ目立って低かった。
母はキャバレーに出勤する前に、算数の問題を解くわたしのとなりに座り、間違った答えを書くたびに、はたき(わたしたちは「ムチ」と呼んで怖れていた)の柄で、鉛筆を持つわたしの右腕を打った。
打ち過ぎて、竹が割れて線状になり、腕は血が滲んでミミズ腫れになったが、母は、わたしが正解を出すまで許してくれなかった。
二〇〇八年六月に起きた秋葉原通り魔事件の犯人の母親は、作文を書く小学生の息子のとなりに座って、一文字でも間違えたり、汚い文字を書いたりすると原稿用紙をゴミ箱に捨てて書き直しを命じ、「この熟語を使った意図は?」などと訊ねて「十、九、八、七……」とカウントダウンをはじめ、〇になるとビンタをした、ということが犯人の弟の手記によって明らかになったし、二〇〇六年に、自宅に放火して継母と弟妹三人を殺害した十六歳の少年の父親(医師)は、勉強部屋を「ICU(集中治療室)」と呼び、小学校のころから付き切りで勉強を教えて、体罰などで少年を追い詰めていたことが報道された。
一九九七年に神戸連続児童殺傷事件を起こした当時十四歳だった少年は、小学三年のときに母親のことを作文に書いている。
「お母さんは、やさしいときはあまりないけど、しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、あたまから二本のつのがはえてきて、ふとんたたきをもって、目をひからせて、空がくらくなって、かみなりがびびーっとおちる。そしてひっさつわざの『百たたき』がでます。お母さんは、えんま大王でも手がだせない。まかいの大ま王です」

殺人事件に発展した例を挙げずとも、「教える」という一方的な行為(押し付け)によって、自分と子どもとの距離を見誤り、芽生えたばかりの子どもの自我を踏み潰してしまう親はたくさんいる。
わたしは学歴信仰を持っているわけでもないし、「うちの子はのびのびと育てている。将来は、自分を活かせる仕事に就いてほしい」と言いながら、実際は学校(社会)の秩序と一体化して我が子を鋳型に嵌め込む親たちを軽蔑してきた。
しかし、いざ自分の息子を前にすると、どうしても適切な距離を保つことができないのである。

4、
一昨日の朝のことだ。
わたしは、資料の本を読みながら咳き込んでいた。
今年の夏休みは初っ端からついていなかった。七月半ばに鞭打ち症で首が動かなくなり、整形外科や鍼灸や整体に通って、なんとか日常生活に支障がなくなったと思ったら、今度は風邪をこじらせて高熱で寝込むという羽目に陥り、原稿の締切りはデッドラインに近付きつつあった。
そんななか、「わからないから、教えて」と言われて、わたしは塾の宿題をやっている息子のとなりに座った。
理科のテキスト〈星と星座〉だった。
「これはさぁ、もう憶えるしかないんだよ。こと座の一等星はベガ・おりひめ星で、色は白。わし座はアルタイル・ひこ星で白。はくちょう座はデネブで白。で、この三つの星を結んでできるのが、夏の大三角形だ」
息子は、大きなあくびをして言った。
「ねぇ、サイダー飲んでいい?」
「いいよ。でも、ママは具合が悪いし、原稿を書かなきゃならないんだから、切羽詰ってるんだよ。サイダー飲んだら、集中してやってね」
わたしは冷蔵庫からサイダーを取り出して、コップに注いだ。
ひと口飲んで、息子がコップを置いたのは、テキストの上だった。
ページをめくった途端、コップが倒れた。
サイダーがぷつぷつと細かい泡を立ててテキストに染み込んでいく。
鉛筆も消しゴムも筆箱も籐のティッシュボックスもサイダーでべとべとになった。
「なんで、こんなことになるわけ? なんで? なんで、こんなことすんの! あんたは、わたしを困らせるために生まれてきたのかッ!」
わたしの怒声を聞きつけて家のなかに戻ってきた(庭で、文鳥と亀の世話をしていた)彼は黙ってテーブルの上を拭きはじめたが、わたしは「糞野郎ッ! 畜生ッ!」と毒突きながらウッドデッキに出て、サイダーで透けてしまったテキストを一枚一枚洗濯バサミでとめて干した。
「ドア開けっ放し! ノラネコ!」
という彼の声に驚いて振り返ると、室内で飼っているメス猫たちを狙って家のまわりをうろついている黒いオス猫が、家のなかに飛び込んでいた。
彼は黒猫を追いかけて二階に駆けあがり、わたしは階段の下に突っ立っている息子の脛にローキックをかました。
その瞬間、自分のなにかが弾け飛び、息子の泣き顔が目の前に迫ってきた。
息子は、蹴られた脚を両手で押さえ、訴えるように泣き出した。
「なにぃ? なによぉ……」
わたしは、怒ることも慰めることもできず、失語状態で二階にあがって寝室の鍵をかけた。
ベッドに横になって目を瞑ると、自分への不信感と嫌悪感が際限なく膨らんでいった。
「死にたい」という声が口から洩れた。

5、
昨日も、宿題がきっかけだった。
息子は、八月十一日から十六日まで、生後三ヵ月のときからみてもらっているシッターのTさんといっしょに(Tさんの故郷である)広島に滞在することになっている。
Tさんは、地元の同級生に頼んで息子が喜びそうな旅程を組んでくださっている。
宿題を広島に持って行くわけにはいかないのに、息子は消しゴムに鉛筆の芯を突き立てて折ったり、消しゴムのかすを集めて練り消しを作ったり、下敷きに絵を描いたりしてサボっている。
「いい加減にしなさいよ!」
と叱って、また、息子のとなりに座ってしまった。
算数のテキストで、息子が躓いているのは★ひとつの難易度が低い問題だった。
「3と9分の1-1と6分の5 これは、分母が違うからこのままじゃ
引けないね。通分すると?」
「3と18分の2-1と18分の15」
「その通り。でも、分子の2から15は引けない。さぁ、どうする?」
「う〜ん……」
「整数の3から1だけ借りてきて、分数に直せばいいんだよ。そうすると、18分のいくつになる?」
「18分の2?」
「それは、借りる前の分子の数字でしょ? 3から1を借りたんだよ?」
「あぁ、じゃあ2と18分の3になるね」
「整数と分子を足し算することはできません。この場合、整数の1は、18分の18でしょう?」
という調子で、書き損じた原稿の裏に数式を書いて教えていたのだが、いくら説明しても解らないので、次第に、というか加速度的に腹が立ってきて、気がつくと、自分の全重量をかけて怒っていた。
「馬鹿ッ! なんで、おまえはそんなに馬鹿なんだ!頭も悪い! 性格も悪い! なんの取柄もないパッパラパーのアホ野郎め! おまえの頭んなかにはオガ屑しかはいってねーのか! いいか? おまえが、明日から十六日まで広島に行くことで、いいことがあるとしたら、おまえの顔を見ないで済むことぐらいなんだよ! 夏休みなんてなきゃいいのにッ! ずっと学校行ってろッ! ずっと塾行ってろッ! うちになんて帰ってくんなッ! おまえの顔なんて見たくねーんだよ!」
息子は鉛筆を握ったまま、唇をあわあわと震わせて泣きつづけた。
「ねぇ、どうして? どうしてそんなこと言うの? そんなこと言わないでよぉ……」

息子は今日広島に旅立ったが、わたしは、自分の罵声と息子の泣き声のなかに取り残されて身動きがとれないでいる。息子を怒りにまかせて蹴ってしまったことよりも、息子に、息子の存在そのものを否定するような言葉を投げつけてしまったことのほうがショックだった。言葉は、自分から息子へと架ける橋のようなものであってほしいと願っているのに、言葉は、息子とわたしの絆はおろか、息子とわたしの存在までを打ち砕く凶器と化している。
その言葉を手がかりにして、この問題を書いて考えなければならない、ということに大きな矛盾と疚しさをおぼえているのだが、それでも、わたしは、自分の内に在る重苦しい沈黙に、言葉で近づいて行くしかない──。

by office-nekonote | 2009-10-26 17:09 |


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